'sqr'atch-note

ちりはつもれど ちりぬるを

不確実性の高い将来への希望的観測

現状のままでは、五輪はまず間違いなく開催されるし、その結果、感染は拡大し今以上の悲惨な状況になる、と思う。

開催されるかどうかについて確証があるわけではないが、開催されないのであれば、ぼくにとって望ましい状況であることには変わりないので、「開催される」にベットしておけば、どちらに転んでもぼくに損はない(何の話?)。

んで、感染は拡大するの部分の話は、以下の通り。開催されたなら、今以上に国内の人の流れと国外からの人の流れが増えることが予想される。したがって、緊急事態宣言を行っても人の流れは止められておらず感染は収束してないため、今以上に人の流れが激しくなるなら、拡大するのは火を見るより明らかだと思う。加えて、現状抑えられていないのに、開催された上で悪化する状況を抑えられるという、あまりも希望的観測な予測は考えられない。また、将来を考える上で間違いなく不確実性は高まるのに、そういった不測の事態を迅速に適切に処理できると期待するのは、多くの人と会話し利害調整して合意を形成していくという組織構造に対しては正直無理があるのではと思う。

正直、彼らが見ている情報よりも、ぼくの方が見ている情報量は圧倒的に少ないので、もしかしたら彼らのほうが正しい推測に基づいた判断を行っている可能性はある(そう信じたい)。彼らはぼくなんかより圧倒的に賢いし。

話変わるけども、太平洋戦争の開戦するか否かを決定するプロセスにおいて、周囲との軋轢回避、組織内融和を重視して判断を積み重ねた結果、いちばんリスクがでっかい開戦という判断に至った(至らざるを得なかった)歴史を鑑みると、80年もたったいま、絶対にその時代の意思決定プロセスに関わった人で生きている人は居ない(居ないはず・・・)のに、似たようなことやってるのはなかなか興味深いなと思う。

開催するしないのどちらに決定しても、暗い未来しか待ってないし、それならいちばん傷が浅く済む選択肢を取るしか無いんじゃないんかなと思いはする。

現状、将来に期待したいのは、30年、50年後にこの時のプロセスがどうだったかちゃんと評価されてほしいということ(国がなくなってなければ良いけれど)。